ep3. 日本に帰ってきてから

ep3. 日本に帰ってきてから

ニュージーランドでは、ビザを切り替え、現地で出来た友達の紹介で仕事に就くことも可能だった。最高な思い出のニュージーランド。そうして滞在を延長することはできたのに、日本に帰ったのには理由があった。日本で親しくしていた友達と、ニュージーランドに行く前からの旅行の約束があったからだ。その友達に、お金を払うからどうしても一緒に行きたい、と頼まれていた。お金を払ってくれるなら、と、場所は、その子の行きたいところばかり計画した。

しかしその結果、その約束で私は裏切られた気分になった。。。後から「お金はいつ払ってくれるの?」とメッセージが来たのだ。私の返事が曖昧で起こったすれ違いなのかもしれないが。

私は昔からその友達に合わせ、気を遣いすぎていた。そんな私に対する友達のきつい言葉遣いにはいつも内心傷ついていたし、ニュージーランドからわざわざ帰ってきてまでその約束を守ろうとした私の従順な覚悟になんて、友達は気づいていなかった。父にはお金を払ってもらうなんていけないとキレられ、母にはそんなの払うなとキレられた。私は、お金は半分ほど払って、後は勘違いがあったから払わないと、はっきりそう彼女に説明することにした。それをきっかけに、その友達とは連絡を取らなくなった。彼女はそれでもお金のことは気にせず友達を続けたい、そう言ってくれたので、そのまま関係を続けることも出来たが、私自身その友達に本当の自分を見せてこなかったのもあって、そして受け入れてもらえないだろうとも感じて、その時は彼女と合わない、と思った。

私はそのあと、日本の色々なところでバイトすることにした。化学物質に過敏でも健康に暮らせる、好きな景色に囲まれて暮らせる場所を見つけたかったからだ。アパートは初期費用がかかるから、仕事は住み込みでリゾートバイトのような感じだ。

まず、たどり着いたのは伝統建築保存地区にある宿泊施設だった。そこでは何故か、事前に私の住むことになる部屋は見せてもらえなかった。

引っ越しをしてきた当日、その環境の悪い部屋に愕然とした。部屋は屋根裏にあり、そこに行くまでの階段には掃除用具が溢れていた。

部屋の天井は低く、床は傾き、壁は薄く、壁の向こうにはねずみか何かが走り回る音が聞こえた。壁にぶつかっては、いつ飛び出てくるかと恐怖を感じた。窓を開ければたばこの煙で何回も肺炎のような症状を引き起こした。仕事は夜と早朝、睡眠時間も十分に取れず、体調も悪い中、シフトを変わってくれる人はおらず、さらにエクスチェンジという形で給料もなく、このような仕事を続けて生活を保っていかないといけないというプレッシャーに押しつぶされそうになった。結局耐えきれず、その短期の仕事を延長することはなかった。

次に私は日本の南に下った。山の上のキャンプ施設だった。そこは以前の経験もあって、事前に部屋をみせてもらっていた。しかし、住み込みのため、夜勤は必須で、体への負担は大きかった。そして、そこの喫煙率の高さに驚いた。部屋に入ってくる煙草の煙。打開策を施してもらったが、それでも再び肺炎のような症状を繰り返し、仕事内容や上司の教え方に、ストレスが溜まった。また、私の部屋にはトイレやキッチンなどの水回りがなかった。雇い主もそれを分かっているので、いつも施設のトイレを使えたのだが、施設が休みの日には間違って鍵を閉められ入れない時もあった。そういうちょっとしたことでどんどんストレスが溜まっていった。

いつも、私の中に、私のことなんて気遣われていない、という気持ちがあった。相手から、見下されれば、その態度を受け取り、嫌な気持ちが心の底に小さく、沸々としていた。実際、評価されたこともなかったわけではないが、すでに、自分の価値や行動、能力を否定する言葉を長年受け入れ、心も体も傷つき、自信がなく、自分を表現していない私は、それを知る由もない他人の何気ない一言や扱いに、「それ以上受け入れることができない、受け入れたくない。」と、耐えられないくらいに、逃げたくなっていた。

私はその仕事を辞めた。

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