ep6. 外国へ行く、信じた賭け
住み込みバイトをし、辞めて、実家に戻る。旅をして、実家に戻る。住み込みバイトをし、辞めて、また実家に戻る。
それを繰り返し私は、肉体的にも、精神的にも限界がきていた。続けられるバイトがない。実家に戻るとネガティブな言葉のオンパレードで気力を失う。
私はぼうっとしてしまって、何もできなくなった。。。
「人生にはこんなに意味のない時間があるのか?」「神様は完璧じゃないんだな」などと考えながら、時間は過ぎ去った。
そんな時、一人の助け船となる存在が現れた。以前オンラインのプラットフォームで知り合った外国人(カナダ人)の男性だ。オンラインだけでなく、彼が日本を訪れたときにも実際会ったことがあった。彼と関係を続けていくにつれ、私のことをとてつもなく好きになったように振舞い、愛してくれる彼に、私も精一杯愛を返そうと思った。彼は、私のために全部準備するから、と、彼の住むカナダに、家も何もかもすべて準備してくれたかのようだった。
私は自分の体調のことや、人と違うところ、必要な環境の事をすべて話した。私のすべての問いに、彼は自信たっぷりに「大丈夫だ。」と答えた。
大丈夫だ。それだけ言うものだから、私はその根拠を聞いた。すると彼は来たら分かる。そう答えた。私が必要だと思うものも、すべて必要ないと言われる。私はその根拠があるのなら今言えるはずだ。そう思ったが、彼の自信たっぷりの返事に、自信のない日本人気質の私は押され、負かされた。
―信じたい。そう心の中で思っていた部分もあった。
もうその時の私には、自分の中にエネルギーがなかった。だから、今私の持っているすべてを賭けても、この機会にこの実家を、この状況を、飛び出すしかない、そう思った。
私の行動に強く反対する両親には内緒で、特に不安症でヒステリックな母とは縁を切る覚悟で、両親に関わるお金や貯金もすべて日本に残し、彼と婚約し、カナダに行くことにした。
その時は世界はコロナ渦真っ只中だった。一般的な渡航は禁止され、渡航するには様々な書類や手続きが必要だった。
彼と暮らすことを新たな希望に、その複雑な手続きを終え、現地の空港に到着した。
空港の中で待っていると言った彼は、中では待っていなかった。しばらくして携帯で連絡が取れると、空港には入れない、駐車場まで来て、と連絡がきた。あれだけ事前に彼に確認したのに、いきなり言っていたことと違い、私は不機嫌になった。
彼と会えたあともくれるプレゼントプレゼント、ほとんどすべて私が使えない、食べられない、といったものだった。家に着いてもその家の汚さに驚愕した。土埃の舞う、暗い地下の部屋しか寝られるところがなく、食べ物も、彼が準備したファストフードだけ。私は数日後には蕁麻疹が出ていた。田舎ですぐ近くには何もない。外の気温はマイナスで、それに十分な服も持っていないのに、とても歩いて出られる気温ではなく他の場所に移動する手段がない。コロナ渦で色々な制約もあり、どこにも行けない。
すべて彼の言っていたことと違う。彼はまったく私の言ったことを理解していなかった。私は軽くあしらわれていただけだったのか。私は彼に愛され、私も精一杯愛していた。しかし彼は私に対する理解が少なく、理解しようともしていない。そんな彼がすべての権利を握っているかのようなその生活で、私はどうにかなりそうだった。
住んでいた家はきれいな水も出なかったのだが、修理中で、ある程度したらトイレまで使えなくなることになって、彼はこれから別のところにしばらく住むから、と、行き先を聞いたが教えてくれず、私は別の家へ連れて行かれた。
そこは彼の両親の住む家だった。私は知らずに来てしまったが、来てしまったからにはお世話になるお礼を言わなければとお礼を言い、留まることになった。
私はとても傷ついていた。なぜなら、私は自分の両親に内緒でカナダに来たのだ。それは別に、自分の両親を傷つけたくてしていることではなく、しょうがなくしただけのことだった。相手の両親と先に仲良くしたら、私は自分の家族を裏切っているみたいじゃないか。だから最初から、彼の両親とは関係は築けない、そう彼に説明していたのに、彼は軽々しく私の言葉を踏みにじって、私の気持ちをまるで分かってくれなかった。悲しかった。
追い打ちをかけるように、彼の父は会って早々私に酷い言葉をかけてきた。彼の母からは文化的な違いからか失礼な言葉を浴びせられ、そのあと彼の説明足らずの言葉によって、仲が悪くなるに至った。
実は、この彼の父はステップファザーで、彼の実の父は別のところにいた。
ある程度してからまた引っ越すことになり、そのとき`友達の家´だと連れていかれたのが、彼の実の父とその再婚相手の女性の家だった。
彼の、自身の言動への責任のなさと行動に、私は何度も頭を抱え、どう理解していいのか分からず、傷つけられた。
そんな状況でも、すべてを賭け信じた私の頭に、別れる、という発想はなかった。しかし、私が耐えきれなくなっており、ついには彼が、別れ話をした。彼と暮らすために日本を出るときすべてを賭け、その賭けに負けて、彼も含めすべて失ってしまったと思い、過呼吸が止まらなかった。それ以降、水も呑み込めず食欲もなかった。過呼吸になるたび、このままだと死んでしまうと冷静に自分を俯瞰するモードに入った。食欲はなかったけど無理やり呑み込んでいた。
私が彼に頼ろうとしたことの結果だった。私は自分を見失い、自分の価値がないように感じ、彼に付いていくことは、私が存在している意味を失うことだと思った。
彼の実の父の家は、大きな町に近かった。そこで私はその大きな町でシェアハウスと仕事を探すことにした。日本の家族を捨ててすべてを賭けて失った私には、日本に帰る場所はない。
彼は何故か頑なに日本に帰れと言ってきたが、私にそんな選択肢なんてなく、始めて彼の言葉に耳を貸さなかった。
彼は、私が言うことを聞かないと、何のサポートもしなかった。彼はすぐに出ていけと私を急かしてきた。私はここに来るとき彼を信じて一人で暮らす準備をしていない。お金も仕事も家もなく、このままだと大量の荷物と共に路頭で身動きが取れなくなる。治安が悪く、夜に女性一人で外にいたら襲われて一晩で死ぬと何度も聞いていた。私は死ぬことを一瞬でも考えたらすぐ死ぬだろうこの状況に、死ぬことなんて考えなかった。どうにかして家と仕事を見つけ出すことだけを考えていた。
私は運よくすぐに家を探し出し、そして仕事もその場で出会った人に紹介してもらえた。奇跡の連続に救われた。
私は新しい部屋で一人になった。
無事にシェアハウスや仕事は見つかったが、自分で暮らすために必要な準備がなかったり、彼のせいで、他のビザの取得に失敗していたり、問題は多く、明日どころか次の瞬間どうなっているかも分からない日々だった。体力温存のために寝られるときに寝た。自分に自信がなく、信じていた彼に否定されたことで自分の価値まで分からなくなっていた。
そこに、部屋にたまたま鏡があった。鏡を見て、「自分がついてる。私には、私のことを一番理解して、誰よりも頼りになる私がついてる。」そう気づいて、泣きながらそう自分に喋りかけた。鏡を見てそうすると、元気になり、すぐに落ち着いていった。
たまに彼が会いに来ると、落ち着き始めていた私の心は不安定な状態にぶり返した。
人生最大の喪失感に、気を抜けば心ここにあらずの毎日だったが、日本にいた頃より金銭的な余裕ができ、おしゃれな街並みや家、自然にまで囲まれた生活で、良いところに目を向けるとたくさんあった。
しかし、私がしていた仕事は、私が貢献したいことではなく、罪悪感があった。人の健康や環境を第一に考える私は、一般的に流通している仕事はほとんど全て、貢献したくないと思うものばかりだからだ。その国では日本人の私はしたい仕事にもそのまま就くことはできない。他にも色々な問題があり、コロナに関する急な新しい制度に、滞在すること自体が難しくなった。その発表の数日後にはすぐに仕事を辞め、日本に戻ることにする。
日本に戻ることにした時、私はカナダでは罪悪感のある仕事しかできなかったことをバネに、日本に帰ったら自分のやりたいことを、どうにかしてやろう!どうにかしていけば必ずできるはずだから!と前向きに決心していた。その国での経験を通してそう考えていたから。
日本に戻る直前に、カナダに来て始めての観光をした。ある程度の期間住んでいるのに一度も観光をしていなかった。
それほど追い詰められていた毎日だった。
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